延岡城跡・城山公園にはかつて、延岡藩初代藩主 高橋元種が築城した宮崎県を代表する近世城郭がありました。
現在は城山公園として整備されており、石垣や天守台、曲輪跡などの遺構が残っており、北大手門は発掘調査や絵図等をもとに復元されています。
また、ソメイヨシノやヤブツバキの名所としても知られており、山頂には市街地を一望できる開けた展望広場も。
ここでは歴史ロマンを感じられるお城の歴史をはじめ、延岡城跡・城山公園の見どころ、アクセスなどを紹介します。
延岡城の誕生から廃城までの歴史
現在の延岡市は昔、縣(あがた)と呼ばれており、平安時代から戦国時代まではこの地域の豪族である国人領主の土持氏(県土持氏)が支配していました。
安土桃山時代の1578(天正6)年、耳川の戦いの前哨戦で土持氏は滅びましたが、当時の居城は松尾城(延岡市松山町)にありました。
ところが、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた1590年(天正18年)に、秀吉の命を受けた高橋元種が延岡の地に赴任。
当初は松尾城を拠点としていた高橋元種ですが、五ケ瀬川と大瀬川に挟まれた大きな中洲の一角にあった丘陵に1601年(慶長6年)から延岡城の築城を始め、江戸幕府が開かれ江戸時代となった1603年(慶長8年)に完成。高橋元種は松尾城から延岡城へ移りました。
その後は、幕府に転封を願い出た有馬直純が慶長19年(1614年)に日向国延岡藩の藩主となりました。
城は改築が進み、承応元年(1652年)には事実上の天守とされる「三階櫓」や本丸二階門、二階櫓などが造られましたが、天和3年(1683年)に三階櫓は火災で焼失し、以降も三階櫓は再建されませんでした。(天和2年焼失という説もあり)
直純の子である有馬康純が後を継いで二代目藩主となり、康純が統治した38年間に今日の城下町延岡の原型が完成したと言われています。
さらに康純の長男の有馬清純が三代目藩主となりましたが、悪政を敷いたことから無城大名に格下げとなり、三代続けて70年続いた有馬家の藩主はここで終わります。
それからは、下野国壬生藩(栃木県下都賀郡壬生町)から入封した三浦明敬が藩主となりました。
しかし、三浦氏の転封により三河国吉田藩(愛知県豊橋市)から牧野成央が入封することに。続けて牧野成貞の長男である牧野貞通が第二代藩主となりましたが、延享4年(1747年)の三方領知替えで転封となり、代わりに陸奥国磐城平藩(福島県いわき市)より内藤政樹が入封しました。
内藤家は第八代の内藤政挙まで最も長く在封し延岡藩主を務め124年間この地を治めていました。八代目の時に幕末・明治維新を迎え、1870(明治3年)に廃城となりました。明治10年(1877年)の西南戦争の際、御太鼓台は官軍に焼かれてしまい、鐘だけが残りました。
復元された北大手門
北大手門は、城の玄関口である「大手」を守る強固な登城門で、二の丸への入り口となっています。
かつては藩主や家臣の登城・下城に利用されたといわれる延岡城の登城門の一つです。
平成4年に発掘調査が行われ、ほぞ穴や礎石の位置等が確認されました。こうした調査成果や江戸時代の絵図等に基づき、平成5年に復元。
門付近の階段や排水溝等は、江戸時代と同じように凝灰岩が使用されています。
記念撮影をする時は、重厚感のある立派な門構えと、横の石垣や門の奥にある階段も写るようにするとお城に来た雰囲気が出ます。門をくぐるとそばに桜の木があり、春はその桜が入るように北大手門を撮影すると季節感が出ますよ。
千人殺しの石垣
延岡城跡の一番の名所と言っても過言ではない、二ノ丸広場にあるひときわ目を引く石垣は、「千人殺しの石垣」と呼ばれています。
石垣は高さが約19m、出過度の斜長は約22mの大迫力! 九州でも有数の高石垣で、隅から見上げるとより迫力を感じられます。
角石に割石を多用する一方、築石は大小の野面石を中心に巧みに積み上げている、築城時の構築が分かる石垣です。
礎石の一角をはずすと崩れ落ちて攻め込んだ敵兵を千人倒すことができると伝わっていまうが、実際に使われたことはないそうです。使われていたら崩れて残っていなかったかもしれませんね。
現在では崩れないよう基部がコンクリートで固められているようです。
記念撮影は、石垣の隅が見える位置からバックして、広角で石垣の面や高さが分かるようなアングルで撮ると良いでしょう。
延岡城跡には、この他にもたくさんの石垣が現存しており、各石垣の名称や石積みの特徴などを記した「延岡城跡(城山公園)石垣マップ」が市役所で配布されています。ホームページからもダウンロードできますので、ぜひチェックしてみて下さいね。
城山の鐘
城山の鐘は、本丸跡の天守台にあります。明治11年から昭和38年まで市民に時を告げてきた初代・城山の鐘は内藤記念館におさめられており、現在使用されている鐘は、明治11年から現在まで、130年以上もの長きに渡って市民に時を告げてきた鐘です。
今も7代目の鐘守さんが毎日欠かさず鐘をついており、その鐘の音は延岡市民にとってなじみ深いものとなっています。
鐘守さんは6時、8時、10時、12時、15時、17時の1日6回、鐘をついて市民に時を知らせているので、城山に出かける際には、ぜひその時間に合わせて山頂を訪問してみて下さい。
また6月10日の時の記念日には、城山の鐘まつりが開催されていますよ。
眺めも絶景です!
二階門櫓跡
二の丸から本丸への入り口(虎口)にある二階門櫓跡の石垣は、大小の野面石・粗割石を用いて積み上げられています。築城時の様相を残している石垣です。
二階門(櫓門)は、千人殺しの石垣西側の長坂門から本丸までの経路を護る「内枡形門」で、かつてはこの石垣の上に櫓付きの門(二階部分が櫓、下部が開閉式の門)が建っていたのです。門の大きさは南北3間、東西8間半あり、城内では三階櫓に次ぐ規模の建物でした。
三階櫓跡
三階櫓は、かつて延岡城の天守とみなされた建築物です。
現存する石垣は、三階櫓建設に伴い有馬氏の時代に新造された石垣で、割石を多用し反りを持っています。西面は石の表面をノミで丁寧に加工した石材からなり、見栄えを重視した積み方が特徴。
三階櫓は、1階部分は東西5間、南北6間の広さ、高さは土台下から7間5尺9寸あり、城内で最も大きな建物でした。天和3年(一説によると天和2年)に焼失したとされています。
三階櫓跡からも延岡の街並みが見えますが、天守台から見える市街地と日向灘の遠望も絶景でおすすめです。三階櫓があった時代は、ビルもなく城下町や遠くの景色まで広々と見渡せていたのでしょうね。
お花見の季節はライトアップで夜桜まで楽しめる
延岡城・城山公園内には300本のソメイヨシノが植えられ、春になると公園を包み込むように咲き誇り、お花見の人気スポットになっています。
例年3月下旬から4月上旬まではワイワイ花宵物語が開催され、千人殺しの石垣を使ったプロジェクションマッピングをはじめ、桜に灯りがともされ夜桜を楽しむこともでき、デートや幻想的な桜の写真を撮りたい方にもおススメです。
千人殺しの石垣はビッグスクリーンなので、プロジェクションマッピングは迫力満点ですよ。
内藤政挙公像と内藤記念館
本丸広場には延岡藩最後の藩主である内藤政挙の銅像があります。勲章がついた洋装姿で、頭に洋服の帽子をかぶり、手にはサーベルを握っている立像です。
政挙まで八代続いた内藤家でしたが、実は内藤家の8代は全て養子による相続という珍しい家系です。
政挙は遠江掛川藩主太田資始の六男として江戸で生まれ、後に延岡藩の第7代藩主内藤政義の養子となり、家督を継いで最後の延岡藩藩主となります。
明治維新後は延岡藩知事になりましたが、廃藩置県で藩知事を免官され、一度東京へ移ったものの延岡に定住し、「亮天社」という中学校や女学校を整備し、延岡市の文化、教育、産業の発展に大きな功績を残しました。
そのような政挙の偉業を顕彰するために、城山本丸広場に記念の銅像が建っています。
内藤氏が私有していた西の丸の藩主屋敷は、1881(明治14)年に延岡市へ寄贈され、「内藤記念館」となりましたが、当時の建物は第2次世界大戦時の空襲で焼失してしまいました。
その後、内藤家の御殿があった場所に建てた「内藤記念館」は、延岡の歴史資料や美術品などを展示し、入場無料で一般開放されている歴史資料館として生まれ変わりましたが、現在2022年の開館に向けて閉鎖中です。
資料の一部は、延岡市役所南別館の「内藤記念館展示室」に展示中です。
内藤記念館には、延岡市の市制施行60周年(平成5年)に際し、旧延岡藩主 内藤家17代当主、故・内藤政道氏から寄贈された能面も所蔵されています。
中には豊臣秀吉によって「天下一」の称号を与えられた能面師の作品など、学術的に価値の高い作品もあります。毎年10月、この本物の能面を実際に使って二の丸広場で行われる「のべおか天下一薪能」には、人間国宝など一流の能楽師、狂言師が延岡にやって来ますので、そちらも必見です!
延岡市南町2丁目1−8
TEL:0982-22-7047(教育委員会 文化課)
開室時間:9時~17時
休室日:月曜、12月28日〜1月3日
観覧:無料
ヤブツバキや新緑の季節もおススメ
延岡城・城山公園はソメイヨシノだけでなくヤブツバキでも有名です。3月下旬には、桜と椿どちらも見頃を迎えるので、共演が楽しめます!
ここのヤブツバキは、千葉県いすみ市の伊能滝、島根県松江市の松江城址とともに、日本三大ヤブツバキ群として知られています。現在、108種、3,300本ものヤブツバキが自生していますが、延岡城跡・城山公園のヤブツバキの最大の特徴は、何といっても紅・白・ピンク・絞り・覆輪と全ての花色が揃っている点であり、10月末から4月下旬にかけて開花します。(見頃は 12月~3月)
ツバキ名鑑で紹介されている「延岡」「亀井」「牧水」「城山」「内藤」のほか、1本の木から白、紅、絞りと3色に咲き分けるツバキなど珍しいものもあります。
延岡城跡・城山公園のヤブツバキ群は学術的に調査研究され、園芸的価値の高いものも多数含まれ、全国的視野から見ても大変貴重なものとして認められています。
5月頃の新緑の季節も散歩すると気持ちが良いのでおススメです。
公園内の木陰やベンチは限りがありますので、ピクニックを楽しみたい方はテントやレジャーシートなどの設備を持参するのがベストです。
近隣に飲食店やコンビニがありませんのでお弁当や飲み物も用意して行きましょう。トイレは5か所あり、一部におむつ交換台もあります。
子どもが喜ぶ城山公園のアスレチック
城山公園内にはアスレチックがあるのですが、少々分かりにくい場所です。千人殺しの下にある広い芝生の奥を登ってから下るとアスレチックが設置されています。
分かりづらい場所ではありますが、子どもが喜んで遊べるので子連れファミリーにおススメです。
トイレや自動販売機も完備されています。
アスレチックの利用時間。
延岡城跡・城山公園へのアクセス
延岡駅から徒歩約25分で行くことができますが、公共交通機関を利用される場合は、延岡駅から宮崎交通のバスが複数路線走っていて便利です。車で行く方のために、周辺の駐車場についても紹介します。
路線バスで行く場合
延岡駅が始発の6-02系統「保健福祉大学」行きに乗車し、5駅目の「市役所前」または6駅目の「大瀬橋北詰」で下車します。
「保健福祉大学」行のバスは経由地の違いで、支援学校経由、大貫経由、合同庁舎経由、すみれ団地経由の4種類が走っていますが、いずれに乗車しても上記停留所まで同じルートで走りますのでどれに乗っても大丈夫です。
所要時間は延岡駅から8分ほど、乗車料金は170円です。
時刻表など詳しくは宮崎交通のホームページでご確認ください。
▼宮崎交通 路線別時刻表
https://www.miyakoh.co.jp/rosen/timetable-rosen.html
延岡まちなか循環バスで行く場合
延岡まちなか循環バスは、宮崎交通の中心市街地を循環しているお得なバスです。
料金は1日フリー乗車券400円(小学生200円)で、1日乗り放題!城山や今山の散策、買い物など観光におススメです。市役所、図書館、イオン延岡などを回っているため、市民の移動手段としても利用されています。
延岡駅から延岡城へ向かう場合は、車体がオレンジ色の内回り線(反時計回り)しろやま号に乗り、5駅目の「九電前・市役所西」で下車します。
逆に、「九電前・市役所西」から延岡駅へ戻る場合は、車体が緑色の外回り線(時計回り)あたご号に乗車します。
9時台から16時台まで、内回り・外回りともに1時間に1便運航していますよ。
時刻表や路線図など、詳しくは宮崎交通のホームページでご確認ください。
▼宮崎交通 延岡まちなか循環バス
https://www.miyakoh.co.jp/rosen/ticket/nobemachi.html
マイカーやレンタカーのための駐車場情報
東九州自動車道 延岡ICから車で10分です。
城山公園の駐車場は2か所あり、北側の「城山公園駐車場」と南側の「城山南駐車場」が午前9時から午後6時まで利用可能です。
「城山公園駐車場」は53台、「城山南駐車場」93台停められます。どちらも3時間以内は無料!
ただし、城山公園や公共施設を利用した場合は、3時間を超えても無料ですが、城山公園管理棟で駐車券の処理をしてもらわないといけません。城山公園も公共施設も利用していない方は、3時間を超えると1時間(端数切り上げ)につき200円の駐車料金が徴収されます。
周囲には市役所の駐車場もあります。
市役所第一駐車場(本町庁舎南側) は、平日 7時30分~18時15分。
市役所第二駐車場(北城山街区公園東側)は、平日 8時30分~18時15分に利用できます。
スペースは、市役所第一駐車場が81台、市役所第二駐車場が85台分。
城山公園には、市役所第二駐車場が近いです。
延岡城跡・城山公園
延岡市東本小路2-1 延岡市役所 都市計画課
TEL:0982-22-7022
まとめ
延岡城跡・城山公園は頂上まで歩いてもそんなに時間がかからず、ちょっとしたお散歩気分で登れるのが良いところです。
さりげなく残る石垣にもそれぞれ特徴があり、お城の歴史を知るとさらに楽しみが広がります。
延岡の観光や歴史好きはもちろん、お子さんと一緒に公園で遊ぶのもいいでしょう。ぜひ一度訪れてみて下さい。