御朱印めぐりや参拝におすすめ!延岡の神社16選

延岡市内には、神社本庁が包括する神社が102社あり、宮崎県下の市町村のなかでも群を抜いて神社多い場所です。わざわざ県外から参拝者が訪れる神社、そしてお寺もあります。ここでは、延岡の有名な神社・仏閣を紹介します。

今山八幡宮

今山八幡宮は「はちまんさん」の名で親しまれている、宮城県北第一の大社です。

今山は、養老元年(717年)に延岡地方における最古の寺院が創建されたところといわれています。
750年に豊前国宇佐八幡宮を勧請したもので、当時国司や軍司の崇敬も深く、社領を加増せられた758年、当山最も興隆を極め、「今最も栄える山」という意味で、社号を「今山」と改め今山八幡宮と号したそうです。

2月10日、11日に行われる「延岡十日えびす」や6月30日に行われる水無月大祓祭には、毎年多くの方が参拝します。

水無月大祓とは、夏越しの大祓(川端大祓)とも呼ばれる江戸中期頃からの伝統祭事で、毎年6月30日の夜に行う行事。祭場を五ヶ瀬川河川敷に設置し、茅の輪をくぐり、祓いを受け、形代を素朴なローソク立ての板船に乗せ、灯を灯して半年の罪汚れを流しやるのです。

今山八幡宮の境内には、今山恵美須神社・今山八坂稲荷神社・今山金刀比羅神社・今山秋葉神社という4つの末社があります。今山恵美須神社については後述をご参照↓

今山八幡宮
延岡市山下町1丁目3875
TEL:0982-21-4525
URL:http://www.imayama8.com/
駐車場:あり(無料)

今山恵比須神社

今山八幡宮の末社で九州三大恵比須神社(博多、若松)の一つ。

さらに日向之国七福神霊場という、七回巡拝すると願いが成就すると言われている七福神巡りの中の恵比須神でもあり、県外からの参拝者もいます。

毎年2月10~11日の「のべおか十日えびす」は、今山恵美須神社の例祭で、商売繁盛や航海安全を祈願する参拝客で賑わいます。

10日が「本えびす」、11日が「明けえびす」と2日間行われ、夜が賑わうお祭りです。

今山恵比須神社
延岡市山下町1丁目3875
TEL:0982-21-4525
URL:http://www.imayama8.com/
駐車場:あり(無料)

今山大師寺

高さが17メートルの、日本一の弘法大師像が立つお寺です。
弘法大師像は、 延岡駅から歩いて約15分、今山大師寺の頂上にあります。

1839年(天保10年)延岡の地で疾病が猛威を振るった際、延岡城下の大師信徒たちが和歌山県の高野山にある金剛峰寺(こんごうぶじ)まで行き、弘法大師座像(現在の本尊)を勧請(かんじょう)して「家内安全」「息災延命」「五穀豊穣」「商工発展」の祈願のために大師庵を経てたことが縁起となっています。

大正7年に大師堂が建立され、さらに昭和32年、信者や近郷近在の有志から広く浄財が寄せられ、高さ17メートル、日本一の弘法大師像が建立されました。

4月、大師の命日に「延岡大師祭」行われ、メインの大法要には、県内はもとより九州、四国各地からも参拝客が訪れます。

この祭りは、明治22(1889)年、四国霊場88ケ所を形どった石仏像を延岡及び近郷在住の町村の人たちが、我が村の守護神(大師)として、五穀豊穣、家内安全を祈って奉納し、春を迎えた喜びに合わせて、旧暦の3月21日に参拝したところから盛んになっていきました。

祭り当日、今山にはご詠歌と鈴の音が春の空に響きわたり、道行く人たちに「お接待」があり、市内各所に展示された見立細工や造り物が祭り客を楽しませ、こうして祭りに彩りを添える形で街中が賑わうようになりました。

「延岡大師祭」のクライマックスでは市中パレードが行われ、「大名行列」をはじめ、様々な団体が意匠を凝らした仮装で沿道を賑わせます。また「のべおか若鮎レディ」にとっては、この「延岡大師祭」が初仕事となります。

今山大師寺
延岡市山下2丁目3998
TEL:0982-32-5290
URL:http://imayamadaisi.com/
駐車場:あり

慧日山 本東寺

本東寺は、日蓮宗の寺院で山号は慧日山(えにちざん)と読みます。

境内には白梅50本、紅梅5本があり、中でも境内の中心にある、樹齢230年を超す巨木の枝垂れ白梅の古木は山号から「慧日梅」と呼ばれ、「みやざき巨樹百選」に選定されています。

延岡市の「慧日梅」は、新富町の「湯の宮座論梅」、宮崎市高岡町の「月知梅」とともに宮崎県三梅の一つに数えられています。

2月上旬になると巨木の枝垂れ梅をはじめ、白梅や紅梅が咲き誇り、観梅会が開催されて多くの人々が訪れます!

ご本尊に七福神のひとつである大黒天が祀られており、本堂前にも巨大な大黒天像が飾られています。大黒天は五穀豊穣、福徳円満の神様なので、出世や幸福をお祈りしてみよう。

また、境内には、岩熊井堰の開設に尽力した藤江監物と江尻喜多衛門の墓碑、徳川家康・織田信長の曾孫で延岡藩主・有馬直純の妻だった日向御前をまつる五輪塔などがあり、土持氏最後の城となった松尾城址が近くにありますよ。

本東寺
延岡市松山町1133番地(本東寺)
TEL:0982-32-3827
駐車場:あり(無料)

春日神社(かすがじんじゃ)

1300年の歴史を持つ古社です。

春日神社の御祭神、天児屋根命、武甕槌命、斎主命は、日本の国の成り立ちに深く関わっています。

延岡市の南、愛宕山の麓の街中に位置し、市街地ながらも鬱蒼とした森に囲まれており、荘厳な雰囲気があります。

神社のシンボルはご社殿両脇にそびえる御神木の大クスで、樹齢800年以上といわれ、社殿に向かって右側のものが幹周り10m、樹高23mで宮崎県下7番目、左側のものが8.5mあり18番目の巨木です。

6月30日には、夏越し大祓いが行われます。
社殿での大祓詞奏上の後、神社の参道に舗設された「茅の輪」をくぐり、形代(かたしろ)を神前に納めます。
そうすることで、上半期のうちに知らず知らずに犯した罪や過ち、また心身の穢が祓い清められ、災いのない平穏な日々を営むことができると言われています。

また、成人の日にはどんど焼き、7月末にはまつりのべおか出合い神輿が行われます。

愛宕山の登山道へとつながっている桜並木は春の風物詩になっていて、神社の大鳥居を入れて撮るのがベストショット。

この神社では、春日神社、愛宕神社の2つの御朱印がいただけるので、忘れずに。

春日神社
宮崎県延岡市恒富町4丁目207
TEL:0982-32-2520
Facebook:https://www.facebook.com/pages/category/Religious-Center/%E5%BB%B6%E5%B2%A1%E6%98%A5%E6%97%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE-407482156341064/
駐車場:あり 100台

愛宕神社

春日神社の近くにある愛宕山には「愛宕神社」があり、代々春日神社の神主が神職を務めています。

登山道入り口から続く階段をのぼった先に社殿があり、辺りは静寂な雰囲気に包まれています。

愛宕山かつて、笠沙岬とか笠沙山と呼ばれていました。
愛宕神社はその昔、現在の城山に祭られていましたが、慶長年間(1603年)高橋元種が延岡城を築く際、現在の愛宕山の頂上付近にお遷しし、それに伴い旧称の笠沙山から愛宕山と改められました。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花佐久夜姫(このはなさくやひめ)が出会った地であるという伝説が残されており、そのことから出会いの聖地とも言われています。

また、火伏の神様として信仰が篤い神社です。

江戸時代、延岡藩主のお姫様である日向御前もこの場所を好んで参拝しており、願掛けを行っていました。

愛宕神社
宮崎県延岡市恒富町4丁目207
TEL:0982-32-2520(春日神社)

愛宕神社 奥宮

愛宕山の山頂は極天様(天空を極める聖地)と称して崇められた霊山で、男坂を設けて国主が直接斎主を務めたため、女人禁制とされていました。

今でも奥宮とかごってんさん(極天様)と呼ばれ参拝者が多く、また徳川家康公のひ孫である日向御前が女人禁制の禁忌を破り登頂した際、奉納した鳥居(笠木部分)が現存しています。

愛宕神社 奥宮
宮崎県延岡市愛宕山
TEL:0982-32-2520(春日神社)
駐車場:愛宕山展望台駐車場を利用

御手洗水神社

極天様の少し下手の鬱蒼と茂った杉林の中に、御手洗水神社があります。

かつては霊域(極天様)に参拝する際の清め処でした。厳かな雰囲気に包まれています。

現在は水神様としての信仰が非常に篤く参拝者が絶えず、奉納された木製の鳥居が立ち並んでいる賛同が特徴的。

徳川家康のひ孫で、延岡藩主・有馬直純夫人である日向御前が、手を洗って清めた場所とされています。

御手洗水神社
宮崎県延岡市愛宕山
TEL:0982-32-2520(春日神社)
駐車場:愛宕山展望台駐車場を利用

龍仙寺

龍仙寺は真言宗醍醐派のお寺で、正式には大圓山明實院龍仙寺。大和の国からこの地に移った谷山覚右衛門により1616年に貢献された明實院がはじまりです。

弘法大師ゆかりの地を巡る九州八十八ヶ所百八霊場の第31番札所となっており、延岡七福神の大黒天を祀っています。

境内に入って左手に本堂があり、寛文年間1661-1673の作とされる本尊の十一面観音は秘仏で、毎年5月の第3日曜日に開帳されます。

さらに本堂内には、明實院の本尊であった鎌持大黒天も祀られています。

本堂の向かいには鎮守の稲荷堂があり、そちらには荼吉尼天が祀られていますよ。

龍仙寺
宮崎県延岡市西階町1-4211
TEL:0982-35-8189
URL:http://www.kyushyu88.com/index.php/2018/08/08/no31/
駐車場:約20台 無料

極楽寺

極楽寺は曹洞宗のお寺で、山号は福聚山(ふくじゅさん) と読みます。

本尊は阿弥陀如来坐像です。

境内には薬師堂があり、極楽寺は九州四十九院薬師巡礼の第20番札所のお寺となっています。

御朱印料は、九州四十九院薬師霊場会専用の御朱印帳の場合、全寺院共通300円。

また、納経料は納経軸を持参の場合、全寺院共通500円です。

巡礼(参拝)の心得は、九州四十九院薬師巡礼のホームページで確認できますので、ぜひ参拝前にチェックしてくださいね。

▼九州四十九院薬師霊場会公式サイト

極楽寺
宮崎県延岡市土々呂町5-1200
TEL:0982-37-0265
駐車場:約20台

伊福形神社

伊福形神社は、下伊福形神社(しもいがたじんじゃ)とも記され、地元では「でえしょごん(大将軍)さま」の愛称で親しまれている神社です。

毎年11月に行われる御神幸祭は通称「面まつり」ともよばれ、面を着けた青年団や消防団が、榊を持って厄を払います。

さらに伊福形神社から約2km離れた場所には上伊福形神社があります。

上伊福形神社は、明治4年の神社改正で村内の6社を合社して上伊福形神社と改称してできた神社で、伊福形神社とともに伊福形村(現在の石田・伊形・一ヶ岡団地・旭丘・松原・岬エリア)の氏神さまとして尊敬されています。

7月4日の夏祭りには夜神楽、11月3日の秋祭りにはお神輿の巡幸と、神楽面をかぶった青年が子供たちをしばいて回る、スリリングな面まつりが行われています。

伊福形神社
宮崎県延岡市北一ヶ岡4丁目4-129
TEL:0982-37-0041

上伊福形神社
宮崎県延岡市上伊形町892
TEL:0982-37-0041

光明寺

光明寺は、真言宗醍醐派のお寺で、正式名は萬寿山 蓮華院 光明寺です。

弘法大師ゆかりの地を巡る、九州八十八ヶ所百八霊場会第32番札所となっており、本堂の本尊様は、阿弥陀如来立像と脇侍の観音菩薩と勢至菩薩、いわゆる阿弥陀三尊で、南北朝時代の作です。

さらに、九州三十六不動霊場会第11番札所でもあり、その本尊様である不動明王像も。

堂内には他にも、弘法大師像、毘沙門天、勝軍地蔵菩薩などの諸尊が安置されています。

本堂の右側には、淡島大明神を祀っているお堂があります。淡島大明神は、和歌山市加太の淡島神社が本社で、婦人の病に霊験あらたかな神として、全国で篤く信仰されています。淡島堂には同じく海に関係する恵比寿太神も合祀されており、延岡七福神の1つです。

光明寺
宮崎県延岡市古城町2丁目13-5
TEL: 0982-32-2307
URL: https://www.koumyoji.info/

尾高智神社

尾高智山頂にある神社です。

尾高智山の麓には大鳥居と小さな拝殿があり、ここに佐伯惟治の墓があります。

佐豊後国(大分)伯栂牟礼(とがむれ)城の城主であった佐伯次郎惟治(これはる)は、徳が高く、領民や家臣から慕われ、文武に優れた名将でした。

しかし、その名声は諸侯のねたみを招き、妬む輩が大友義鑑に翻意の疑いありと事実無根の告げ口をします。

惟治は、「決してそのようなことはありません。」と言い張りますが、日頃から彼を快く思っていなかった義鑑は、臼杵近江守長景に「惟治を殺せ!」と命令します。

長景は栂牟礼城(とがむれじょう)を攻めますが難攻不落の険しい山城を落とすことができず、惟治を騙すために使者を送り、「私が義鑑公の怒りを解くから、この城を明け渡して、日向の国に身を寄せなさい。」と伝えました。

惟治はこの言葉を素直に信じ、可愛岳(延岡市北川町)に身を寄せますが、策にはまり、栂牟礼城を出て日向へ逃げる途中の尾高智山の山腹で追手に迫られて自刃してしまいました。

惟治の死後、関係した者が変死し、各地で災厄や異変が起こったため、惟治を祀った神社が建立されました。その数は大分県南・宮崎県北で合わせて20数社にもなります。

山頂には本宮があり、佐伯惟治の自刀の跡を示す小さな石碑が建てられています。

悲運の人ということから、地元の人々は佐伯惟治に敬意を払い、今でも墓を守り、参拝を欠かせません。

今では、毎年1月の第三日曜日に、牛馬の安全や豊作、豊漁を願って大祭がひらかれ、延岡市だけでなく大分県からも多くの方が訪れます。

また、大祭では五穀豊穣を祈念して、歌糸神楽保存会により地元で伝承される神楽が奉納されています。

尾高智神社
宮崎県延岡市北浦町三川内字橋ヶ谷
TEL:0982-42-1222

御頭神社

御頭(おとう)神社は、尾高智神社から車で約40分の山あいにひっそりと佇む小さな神社です。

尾高智山の山腹で追手に迫られて自刃した佐伯次郎惟治の死後、生き残った家臣の一人は、主君の首を敵に渡してはならないと、小袖に包み、暗闇の中を懸命に逃げのびました。

敗走の途中、疲れを癒すため現在の御頭神社がある瀬口宝泉寺(延岡市北川町)で惟治の首を境内に生えているケンポ梨の木に掛けてしばし休憩をとります。

休憩の後、出発しようと思い、木にかけていた小袖の包みを手に持つと、不思議なことに、それが急に重くなり、どうしてもその場から動かせなくなりました。

家臣はどうしてよいか迷い、事の次第を宝泉寺の住職に打ち明けます。すると住職が読経を唱え、惟治の首を境内に手厚く葬ってくれました。

住職が、毎年祭祀供養を施すことで、惟治の霊はようやく鎮まり、御頭大明神として人々から慕われるようになりました。

その後、文武両道に優れていた惟治は、学問の神様として信仰を集めるようになり、現在、受験シーズンには地区内外から多くの人達が合格祈願に訪れています。

(残された胴体の方は、尾高智神社にて、こちらは牛や馬などを供養する動物の神様として親しまれています。)

さらに、御頭神社は、頭の病気を治す神様としても御利益があるとされています。

毎年1月15日には御頭神社大祭が開催され、地元老人会が中心となり、惟治公の供養の意味を込めた祭礼が行われます。

御頭神社
宮崎県延岡市北川町川内名3542
TEL:0982-46-5010

慈眼寺

慈眼寺は、曹洞宗のお寺で正式名は弘誓山 慈眼寺。

幕末明治維新に活躍した勤皇僧胤康和尚ゆかりのお寺で、胤康和尚の墓石があることで有名です。

胤康和尚は、勤皇の志を持ち、豊後岡藩に勤皇思想を説き、最後は46歳で一生を終えた慈眼寺僧侶です。

毎週日曜の7:00~8:00には坐禅会を開催しています。参加費は無料で住職自ら指導してくれます。(外国人参禅は要相談)

内容は、永平寺2世である孤雲懐奘が記した曹洞禅の語録書で、約20年間にわたり師・道元に近時し、道元が弟子たちに説いた言葉や、道元との問答などを克明に筆記した「正法眼蔵随聞記」です。

25名まで宿泊も可能で、一泊2,000円となっています。予約は必要です。厳格な空気に触れ、身も心もリフレッシュできます。

慈眼寺
宮崎県延岡市北方町曽木子1752
TEL:0982-47-2048

行縢神社

行縢(むかばき)神社は、行縢山の登山道入口にあり、神社の歴史はおよそ1,300年。

旧延岡藩主から寄贈された県指定文化財「鉄鰐口」が所蔵されており、代々の藩主の信仰を集め、手厚く守られてきました。

社殿の前に鎮座した奇妙な顔形の狛犬や、樹齢300年になる縁結びの夫婦杉、軒下に施された見事な彫刻や象鼻など、象徴的なシンボルが多く存在する神社です。

社殿に向かって左側には、斜面の上部には樹齢200年と言われる大きなバクチノキが立っています。高さもあり、根元まわりの姿が力強いのが特徴で、これだけの大きさのバクチノキには、滅多に会えるものではないようです。

社殿の軒下を見てみると、象鼻などの見事な彫刻が施されています。その中にハート型の彫り物があるので、ぜひ探してみて下さい。

行縢山へハイキングする際は、この神社で登山の安全を祈願されることをおススメします。

行縢神社
宮崎県延岡市行勝町741
TEL:0982-39-0219